【関西1部リーグ】「後輩達へ」神戸大x同志社卒業生より

★卒業コメント★
①名前
②ポジション/背番号
4年間を振り返って
④後輩たちへ

★同志社大学フットサルクラブTREBOL★

①中川 明香里
②マネージャー  、74番
③この4年間は私のこれまでの人生の中で最も貴重な経験を積むことができた4年間でした。
これまでの4年間を振り返ると、全国準優勝という実績を持つチームに加入するも一、二回生の時には選手権、プーマカップ、関西チャレンジすべてにおいてあと一歩のところで力及ばず、苦しい日々も多くありました。
しかし、その度に心新たに練習に取り組む選手たちとともに次こそはという思いで取り組み、迎えた三回生の学生選手権。この大会で全国優勝を勝ち取れたことはチームにとって本当に大きく、忘れられない経験となりました。私自身も選手たちの笑顔から、これまでの彼らの努力がやっと結果として表れたのだと感じられたとともに、これまでには経験したことのない感情に多くを考えさせられ、学び、そして成長させてもらえました。
④私はこれまで選手に向けてメッセージを伝える際「結果がすべて」だと言い続けてきました。
やはりどれだけ努力していても結果がついてこなければ評価されない。裏を返せば、結果を出せば評価されるということを全国優勝した後、身に染みて感じてきたからです。貴重な学生時代をフットサルにかけると決めた後輩たちには、しっかりと結果を残して、胸を張って卒業の日を迎えてほしいと思います。
私自身は同期の選手たちが学生選手権優勝の景色、関西一部リーグでの景色、プーマカップ全国大会での景色、と自分一人では決して味わうことのできない景色を見せてもらい、これまでの4年間に誇りをもって卒業することができました。同期を誇りに思うとともに本当に感謝しています。
また4年間チームを支えてくれた方々、競技フットサルの運営に携わってくださった方々にこの場を通して感謝の気持ちを伝えさせていただきたいです。本当にありがとうございました。


①小林大介
②アラ・フィクソ、 2番
③高いレベルの環境でフットサルをすることができ、様々なタイトルに挑戦することが出来ました。
ひとつひとつのタイトル獲得を目指す中で、仲間同士の結束力を強めることが出来たことは僕の今後の人生において大きなものとなると思います。
④新チームで始めはうまくいかないこともあるかもしれないけど、
何度もトライ&エラーを繰り返しながら自分達らしく目標に向かって頑張って下さい。


①渋谷 大山
②ピヴォ 、9番
③病で絶対に出来ないと思われたフットサルがもう一度出来た事。
そして自分達の代で全日本選手権本大会出場という1つの歴史を創れた事。
④このチームでフットサルをするという事は他の多くを犠牲にするという事。
巷が想像するような「The 大学生」な事の裏返しのような泥や汗にまみれた日々だと思う。
だけど最後全てが終わった時、必ず「このチームでフットサルをしていて良かった。」と思えるはず。
歴代の先輩達が残した魂を受け継ぎ、最後まで駆けて欲しい。


①森下茉耶
②マネージャー 、48番
③私は中学、高校時代にチアリーディングを行っていたのですが、当時所属していたチームも全国大会を目指すチームで、それまでまともにスポーツを行ったことがなかった私は中高の6年間の間はとにかく技術を向上させることに精一杯でした。
練習終わりに毎日義務付けられていたミーティングを行い、週7回の練習をこなし、絶対に自分自身も同い年と共に全国大会に出場するという夢を実現したのにも関わらず、引退時にどこか虚無感が残ってしまったのは本当の意味でチームについて考えることも出来ておらず、自分自身や人と向き合うことが足りていなかったのだとDFCに入ってから気づかされました。
DFCはまだ同志社大学において正式に体育会へと昇格を果たしていません。けれど私が入部した当初から現役の先輩方だけでなくOBやスタッフの方々、応援してくれる連盟の関係者までもが体育会になることを望んでくれていて、「全国日本一」という競技における目標だけでなく、大学の中で体育会になるという組織的な目標を目指しているチームで、私は4年間を通して、このDFCというチームの環境に対する有り難みを何度も感じました。
今までに見ることのなかった景色を見せてくれた同期の皆や、支えてくれた可愛い後輩達だけでなく、卒業してからも色んな相談にのって下さった先輩方や、大人として多くの刺激を下さったスタッフやOBの方々。4年間在籍する中で別の道を目指して離れてしまったチームメイトもいるけれど、一人一人異なる形で私と向き合ってくれたDFCというチームに出逢えたおかげで今の自分があると本当に心から感謝しています。
DFCの中では実際に競技を行う選手ではなくマネージャーであった為、家族、友人にマネージャーをする意味や、マネージャーの存在意義について問われることもありました。
上手く答えられないこともあったし、これが正解ではないかもしれませんが、私自身はマネージャーどうこうというよりは、やはりDFCというチームが好きで4年間続けてこれたのだと思います。私なりの発想で本当に単純に考えさせて頂くと()、今選手がフットサルを行っているのもボールを蹴ることが好きだからだと思うし、マネージャーが選手を支えているのも選手が活躍するのを見るためにサポートすることが好きだからだと思います。なのでこれからもDFCを好きという想いを胸に、DFCというチームに少しでも貢献出来たらなと思います。ずっと居たいと思う居場所を見つけられて、本当に幸せな4年間でした。

④引退する頃にはDFCに入って良かったと思った瞬間や嬉しかった時の出来事を必ず思い出すことになると思います。なので現役でプレーする4年間、マネージャーとして選手を支える4年間は何よりそれぞれが感じる「悔しさ」に逃げずにとことん向き合い、これまでの人生では味わうことのなかった多くの経験をすることで充実した時間を過ごしてほしいです。スポーツで味わう悔しさは学生の今だからこそ味わえる特別なものだと私は思っています。一人一人が色々な壁を乗り越えて、幸せにDFCを卒業する日を見れることを楽しみに、私も社会人生活頑張ります!


①小川貴大
②アラ、3番
③フットサルを最優先にしてきたことで、様々なことを犠牲にしてきました。辛い時期もあり、辞めたいと思うこともありました。しかし、今はフットサルを選んで、DFCに入って良かったと心の底から思っています。
それも、スタッフやOB、家族の支えがあったからです。チームに関わる全ての方々に感謝しています。
最後に、いつもバカみたいに騒ぎながらも練習を盛り上げ、時には厳しいことも言ってくれて、それでも試合では最後は頼むと背中を押して送り出してくれる、そんな同期に感謝と、この代で良かったと伝えたいです。
④後輩のみんなにはもっともっと貪欲にレギュラーを狙ってほしいです。
1人ひとりが仲間をライバルだと認識し、競い合うことでチームは強くなっていくと僕は考えています。
勝利のために試行錯誤を繰り返し、時には仲間とぶつかりながら突き詰めることで結果はついてくると思うし、後悔のない大学フットサル生活を送れると思います。
個々が成長し、チームとしても強くなった姿を楽しみにしています。


①前野 俊哉
②アラ、フィクソ  10番
4年間を振り返ると、僕は本当に恵まれた環境でフットサルができていたと思います。1回生の時は監督に一からフットサルを教えてもらうことができましたし、すぐにトップチームに上げてもらい、上手い先輩方と一緒にプレーさせてもらえたことで成長できました。
また京都府2部から始まり、京都府1部、関西2部、関西1部とカテゴリーを一つずつ上がれたことで個人として着実にステップアップを感じながらプレーできました。そして、大学生チームにとって一番の名誉であるインカレ日本一を達成できたことが最高の思い出です。初めの2年間はあまり結果も出ず苦しかったですが、後の2年間は結果もついてきて楽しい時間を過ごせました。フットサル人生の初めのチームがDFCで本当に良かったです。このチームに携わる全ての人に感謝したいです。
④関西1部リーグ1年目は苦しいシーズンでしたが何とか残留することができたので、後輩達にもまずは残留できるように頑張ってもらいたいです。神戸大学のように関西1部に残留し続けて、良き伝統をつくっていって欲しいです。そして、大学日本一奪還してくれることを期待してます。苦しい時期は必ずあると思いますが、チーム全員で乗り越えて、魅力のある強い同志社を見せてもらいたいです。

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