Minha vida e futsal」vol.6「高校時代」

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皆さんこんにちは!
今回もコラムにお付き合い下さい。

私事ですが、JISSでのリハビリを経て北海道セントラルから試合復帰しました。
気にかけて下さった皆さん、ありがとうございました!

 

さて、今回は高校生時代の話を。

中学卒業後、福島県立郡山高校にスポーツ推薦で入学しました。
県内いくつかの高校から誘いを受けましたが、この高校を選んだ理由は、家から近かったこと、進学校だったこと、サッカーで全国大会を狙える学校だったからです。

やはり中学卒業したばかりの1年生と高校3年生では、体格に差があり、最初は苦戦しましたが、
中学終わりの春休みから部活の練習に通っていたこともあり、1年生時の夏のインターハイでレギュラーを獲得することができました。
この年は本当に劇的な年で、すべてが順調に進みました。

そのインターハイの県大会で優勝し、全国大会出場を決めることができました。
この大会では、1年生ながら得点王、優秀選手になり、国体の福島県選抜にも選ばれ、当時日韓W杯で福島県でキャンプをしていた、アルゼンチン代表のユースチームとも試合が出来ました。

ただ、この夏のインターハイ全国大会出場には裏話がありまして・・・。
県大会で優勝したので、元々優勝候補だったように思われるかもしれませんが、実は地区予選を5位で勝ち上がり、なんとか県大会に出場したので、まさか優勝するとは思っていませんでした。笑
そのためと言ってはおかしいですが、実は夏休みを利用してオランダへサッカー留学する計画を立てていたのです。

母親の繋がりでオランダトップリーグチームのユースに練習参加する予定で、既に話も決まっており、パスポートと航空券を取ってあとは行くだけ、という状態だったんです。
ところが、インターハイの全国大会の日程と留学の日程が同じ時期ということになってしまい・・・。

これは僕自身、非常に悩みました。

監督には残ってほしいと言われ、僕も全国大会に出たい気持ちはもちろんあったので、結果的には、留学を断念することになりました。

今思うと、このタイミングで留学していたら、またなにか自分のサッカー人生は変わっていたかもしれませんね。違った人生を歩んでいた可能性もあると思います。
人生というのは、どうなるかわからないものですね。

結局2年、3年時はインターハイ、高校サッカー選手権共に全国大会に出場することができずに終わってしまいました。
それと同時に国体の福島県選抜のメンバーにも選ばれず、非常に苦しい時期を過ごすこととなりました・・・。

 

もちろん卒業時にプロからのオファーもなく。
卒業と同時にプロになることはできませんでした。

 

そして、卒業後の進路として高校の監督の母校である順天堂大学に進学して、
サッカーを続けることに決めました。

 

ここで、フットサルと出会うのです。

 

続きは次回に。

 

〜今日の1枚〜

今回の1枚は、先日瑞穂陸上競技場で行われたトークショーで一緒だった名古屋グランパスで日本代表にも選ばれていて、プライベートでも親交がある、田口泰士くんです。

今回の1枚は、先日瑞穂陸上競技場で行われたトークショーで一緒だった名古屋グランパスで日本代表にも選ばれていて、プライベートでも親交がある、田口泰士くんです。

【過去のコラムは旧サイトで公開中です。コチラからご覧ください。】
著者: 渡邊 知晃
1986年4月29日生
GAZIL→フウガ目黒(現フウガドールすみだ)→ステラミーゴいわて花巻→名古屋オーシャンズ
Fリーグ・名古屋オーシャンズに所属し、日本代表でも活躍を見せる大型ピヴォ。
順天堂大学”GAZIL”よりフットサルを始め、フウガ目黒(現フウガドールすみだ)、ステラミーゴいわて花巻と、多くのクラブを経験、ステップアップを果たし、現在に至る。

渡邉知晃オフィシャルブログ「Valuable Things」

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