デフフットサル・サッカー日本代表/関西2部ジプシー 船越 弘幸 『限界は自分で作るもの。可能性は無限大』

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しかし、そんな船越選手に、現在大きな試練が立ちはだかっている。

 

「今年は11月のデフフットサルW杯優勝と、ジプシーの関西1部復帰を目標にしていました。フットサル環境は過去最高に整ってて・・・。かなり順調だった矢先に、今回のアクシデントが起きてしまいました。

7月11日に淡路島でおこなわれた関西2部リーグ4節で、ジプシーと共に関西1部から降格したセットスター和歌山との絶対に負けられない戦いの時です。僕が2-1の逆転ゴール決めた際の出来事でした。

スライディングに失敗して腓骨骨折、脱臼、足首靱帯断裂で、会場地元の淡路島で緊急手術受け、後日には大阪で本手術を受けることになりました」

突如訪れた悲劇だった。目の前が真っ暗になる様な、残酷なアクシデント。すぐに消化できるものではない。

「デフフットサルの世界大会を目前に、そしてジプシーでの関西リーグ中にこういったアクシデントをおこしてしまい、中々現実を受け入れ難い自分がいました。

これまで死に物狂いでやってきたものは何だったのだろうか・・・。
フットサルの神様、俺、なんか悪いことしましたか・・・?

とも思いましたね」

今までの努力を否定してしまいそうな瞬間。しかし、そんな時に支えてくれたのは、ジプシーの仲間たちだった。

「ジプシーは、この日は最終試合。試合後に、淡路島という離れた場所にも関わらず、全員で病院へかけつけてくれました。僕が手術に入る直前、皆が現れて。激励してくれて、さらに手術が終わるまで待っていてくれました。

チーム愛を感じて、泣きそうになりました。

この素晴らしすぎるチームメイトの為にも、早く復帰して恩返ししたいなと強く思っています。

いきなりのことで頭に余裕がなかったんですが、緊急手術を受けて一晩が過ぎ、自分とゆっくり向き合う時間が出来て、少しずつこうなってしまった現実を受け入れられる様になりました。東北大震災等で大怪我をした方もいます。けれど僕みたいに迅速な対応してもらえたわけでもなく、大変な目に遭った人たちがいるというのに。

僕はチームメイトをはじめ、、関西リーグ協会や他チームの皆様の迅速な対応でスムーズにここまでやれたわけやし、そこは何よりもすごく感謝すべき部分だと思いました。
当初はの目標である《世界大会優勝》と《関西1部復帰》から、自体は大きく変わってしまいましたが、ちょっと目標路線を《早期復帰》に設定変更しました。

そのためにも、今日から『新たにがんばろう』という気持ちでしっかり切り替えています」

 

既に前を向き、再び歩みだそうとしている。
目標は少し方向が変わってしまったが、すぐにそれを達成し、再び日の丸を背負い、そして関西リーグの舞台でも、ボールを蹴りだす時がやってくるはずだ。

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船越の背番号、11番を指で表すジプシー。チーム全体が、船越を慕い、またともにプレーする時を待っている。


船越 弘幸 ふなこしひろゆき

1977/10/27 37歳

高校2年中退して3年間ブラジルへサッカー留学
サンパウロ州2部のA.D.GUARUKHOSとプロ契約もビザの都合で帰国
1998年~デフサッカー日本代表に選出され、今日までで幾多の国際大会出場
2010年~デフフットサル日本代表設立され、現在に至る。

2011年はデフフットサル女子日本代表監督としてW杯出場

フットサル歴はドリーム(関西リーグ)→CASCAVEL愛知(東海リーグ)→PFCスプリーム(当時関西リーグ・現大阪府リーグ)→田辺っ子(現在関西リーグ2部のpazdoro田辺)→waliki神戸(関西リーグ)→スプリーム高槻(大阪府リーグ)→gatt2008(京都リーグ)→ジプシー(関西リーグ2部)


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