- 2015-5-8
- Fリーグ, レポート・ギャラリー
- シュライカー大阪, 永井義文
イタリアへ渡って1年、永井義文はシュライカー大阪に戻って来た。Fリーグ2015/2016の開幕戦では、2ゴールを挙げる活躍を見せた。しかし、チームが敗れたこともあり、永井に満足する様子はない。イタリアでどのような経験をしたのか、そして、2年ぶりのFリーグのピッチで何を感じ取ったのか。
――いつ帰国したのでしょうか?
「4月の頭くらいです。チームが今治のキャンプを行う前に帰国しました。自分から『帰って来まーす』って発進しても、『いやいや、お前のことなんて、誰も待ってへん』と言われるのも嫌だなと思ったので、ヒッソリと帰って来ました(笑)。帰って来たところで何もっていうのもね。チームから発表があればわかるかなとも思ったので」
――イタリアでのプレーは1年限定と決めていたのでしょうか?
「そうですね。いろいろなことを総合的に考えて、自分の中で決めていました。悩んだのは今年帰ってくることよりも、昨年行くときでしたね」
――それは、なぜですか?
「一番は、木暮監督の下でやりたかったんですよね。僕が海外でのプレーを目指してサテライトで練習をしていたときに、木暮さんがサテライトを指導するようになったんです。日本代表のミゲル・ロドリゴ監督の下でプレーする中で、欧州の一線級の指導者の下でプレーできる機会は、日本にいたらそんなにないと思っていました。ところが、木暮さんの指導を受けたら、とにかく質が高かった。そのフットサルを知って、『ここでやりたいな』と思ってしまったんです(笑)。それで、本当に欧州に行くべきなのか、すごく悩みましたし、監督、チームとも話し合いを重ねましたね。最終的に、年齢的なこと、経済的なことを含め、いろいろなことを考えて1年間イタリアに行き、その後、木暮監督の下でプレーしようと決めていました」
――当時、木暮監督からはどんな言葉をかけられたのですか?
「行けとか、残れとか、そういうことは言われませんでした。そのときに監督が、どう思っていたのかは分かりませんが、どっちでもいいと思うよという感じでしたね。日本に残ったら、日本で学べるものがある。海外に行ったら、海外で学べるものがある、と。特にどうしたらいいとか、こうしろとか、そういう話しはなく、いろいろな経験を積んだ先輩としてアドバイスをくれました」